この世界に時間が存在する理由。「制限」があるから人は行動できる

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「片付け」と「時間」

一見、どんな繋がりがあるのだろうと思われそうですが、
片付けをする先にあるものは「自分の人生を豊かにすること」

それはつまり、充実した人生の時間を生み出すことに繋がるんです。

 

少し前のことですが、6月10日は「時の記念日」でした。

西暦660年に天智天皇が作った「漏刻」と呼ばれる水時計が
初めて時を刻んだ日にちなんで制定されたそうです。

それまで使われていた日時計は、昼間、
しかも晴れているときのみしか使えませんでしたが、
この漏刻が発明されたことで
どんな時でも時間を正確に知ることができたと言います。

記念日として制定されたのは、それからずっと後の1920年。

その目的は
「国民に時間を守らせることを徹底するため」
だったとか!

江戸・明治の日本人は2時間置きに鳴る鐘のみが時間を知る唯一の手段だったため、
時間にかなりルーズだったようです。

一方、欧米では既に懐中時計で時間を認識する習慣があり、
諸外国に追いつくためには時間認識を変えなくては!という理由で
時間をきちんと守り、生活の改善・合理化を図るために制定されたそうです。

今では信じられないような話ですよね。

現代社会を生きる私たちは、
時計を見て、時間を意識しながら生きることは当たり前になっています。

ところで、時間とは何でしょうか。

本日は「時間」について深堀りしてみます!

 

なぜ時間は存在する?

全人類に平等に与えられた、一日24時間という時間。

時間術や効率化などで使える時間を増やせることはあるかと思いますが、
1日24時間をそれ以上に増やすことも、それ以下に減らすことも、誰にもできません。

時間とは有限であり、つまり、制限があります。

私たちはこの世界に生まれてから、常に時間という制限の中で生きています。

なぜ、時間には制限があるのでしょうか。

なぜ、私たちはそんな時間の中を生きることになっているのでしょうか。

 

時間という制限が促すもの

ある時、こんな言葉に出会いました。

“私たちが時間の存在する地球に生きている理由、それは
時間という制限を受けることで成長を加速させるため

これを聞いたとき、なるほどー!と腑に落ちるものがありました。

もし、私たちの生命に時間という概念が存在せず、永遠に続く命だったら?

もしかしたら、ぼーっと何もしないで過ごしていても、
ほんのすこーしずつは成長・進化していくかもしれません。

でも、時間に制限があると思うから、
自ら行動し成長しようとするアクションが生まれるのかもしれません。

締め切りがないとついダラダラしちゃうことってありませんか?

お尻が決まっていないと、やらなきゃ!って気持ちがブレがちかもしれません。

夏休みの宿題も、2学期が始まるから間に合わせようと頑張るわけだし。

(え、私?夏休みの宿題?
夏休み最終日の夜に徹夜してましたけど、なにか?)

 

命という時間制限が終わる前に後悔すること

出典元を忘れてしまったのですが、

人が死ぬ直前に考える事の第一位は

「〇〇をしておけばよかった」

だそうです。

やりたいと思ったことをやっておけばよかった

行きたいところに行けばよかった

会いたい人に会っておきたかった

あの人に謝りたかった 等々…

「〇〇をしなければよかった」ではない、というところが印象的です。

やっぱり人は、行動することで

抱えている問題を解決したり

何らかのステージをクリアしたり

自分のより望む姿に近づいていったり

するのだと思います。

そして、それが達成されたとき、
私たちは人生の充実を感じるのではないでしょうか。

限りある命の時間内にできなかったとき、
私たち人間は、やりきれなかったことに対して悔いた気持ちを持つのでしょう。

逆に、自分が納得するところまで行動できたと思えた時は、
「思い残すことはない」
と満足感の下に今の肉体での時間を終えるのかもしれません。

 

人生全体の時間を俯瞰する

私たちは日頃、当たり前に時間を意識して過ごしています。

ですが、「人生の全体時間」を意識している人はどれくらいいるでしょうか?

限られた時間の中で、やり残しのないように人生を過ごすとは?

何も、意識高くガツガツ行動しなきゃいけないということではなく。

楽しみながら生きられれば、それだけでも十分かもしれません。

ただ、そこに成長というエッセンスがあると、
人生はより満ち足りたものになる
のではないでしょうか。

 

成長とは、つまり行動するということ。

 

今日、ある勉強会に参加していて

親との関わりについての話になった時に

「(親との時間は)もうあまり残されてないよ」

と言われた言葉が自分にとても突き刺さりました。

当たり前に元気でいてくれる両親。

当たり前に寝っ転がってテレビを観ている平和な父の姿。

当たり前に他愛もない事から相談事まで何でも話をする母の存在。

そんな「当たり前」も、いつかはなくなります。

その日が来た時に「〇〇しておけばよかった」と思うようなことは何だろう?

限られた時間の中で、どんなことができるだろう?

考えさせられる時間でした。

 

まとめ

時間とは、私たちの人生時間に制限を与えるもの。

しかし、制限があるからこそ、私たちは行動を起こすことができます。

行動は成長を生み出します。

その成長こそが、人生で得られる豊かさなのではないでしょうか。

「いつか」

「時間ができたら」

「落ち着いたら」

その時間はいつ、やってきますか?

忙しい現代時間。

人生の時間という砂時計の砂が
刻一刻と落ちてゆく間に
あなたが「やりたいこと」は何ですか?

あなたが加速させたい成長とはどんなことでしょうか。

そのためにすべき行動とは?

人生の終わりに、どんなことを思って、言い換えれば、
どんなことを後悔しないように、幕を下ろしたいでしょうか。

このままでは終われない、そう思っているのならば…

まずは見て見ぬ振りをしているあの場所の片付けから始めてみませんか?

 

【余談】

この記事書きも、子供のいない昼間は全然進まないのに、
なぜか、学校や保育園から帰ってきた夕方頃からやる気が出てきました。

夕飯作らなきゃとかお風呂入れなきゃとか
そういう制限があるほうが、なぜかそれに対抗するように書ける。笑

やっぱり制限て大事かも…!?

 

最後までお読みくださりありがとうございました。

 

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