何が本当に自分の心を満たすのかを探る

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自分、という生き物は、思っている以上に自分では分からないものです。

そして、周りの人たちの声や巷に溢れかえっている情報のほうが先に目から耳から入ってくるので、(外野はさておき)私自身は何を望んでいるのかが分からないことが多々あります。

波風を立てまいと、集団や組織の中で調和優先で生きてきた人ほど、自分の心を満たすものは本当は何なのか忘れてしまっているかもしれません。

迷ったときは、ひたすら自分に問いかけるしかないんです。

「これ、本当に私が望んでいること?満たされること?」って。

ある日のお昼ごはんを巡って

昨日は、午前中にコーチングのオンライン講座を受け、そこで刺激を受けたこともあって終わったらすぐに出掛けてカフェでランチがてらブログでも書こう!と勇んで車に乗り込みました。ところが、

「私、何食べたいんだろ?」

と自分に問いかけても、食べたいものが思いつかない。

とりあえず食べ物のジャンルは一旦外して「長時間一人で過ごせるカフェに行く」ってことにしようと思うも、行ってみた1件目のカフェは待ち人の列が見えたのでやめ、2件目は本日休業。

それなら「とにかく食べたいものを食べて満足感を得る」ランチをしようと条件を変えてみたけれど、何を食べたら満足するんだろうという問いに答えが出ず、結局、外でランチするのは諦め、家の近くのスーパーで何か買って帰ることにしました。

でもそこでも、お惣菜を見ても、ベーカリーのパンを見ても、すぐに食べられるレトルトを見ても、食べたい気持ちが湧き起こらない。

おなかは空いていて、今すぐにでも食欲を満たしたいのは確か。でも、美味しそうな竜田揚げの鶏肉が外国産だったり、レトルト食品の成分表示に添加物がこれでもかってくらいに並んでいるのを見ると、どーしても買う気になれないんです。

で、鮮魚コーナーに行ったら、端数の余りものだったのかカツオのたたきが5切れで売っていて、あっこれなら食べたい!って思えたので買って帰りました。

そのまま食べるには殺風景なので、朝炊いたご飯を温めて乗っけてごまをふって、たたき丼に。

それが冒頭の写真。

あとは、友人からいただいたちょっといいお味噌汁を添えて、以上。

うん、これは自分の食べたかったものだ!

心が満たされる条件を言語化する

外でランチするよりだいぶお得に済んでラッキーではあったのですが。

本当に良かったのは金額うんぬんではなく、

「自分自身が食べたいと思うものが食べられ、満足感を得られたこと」

だったんです。

外でランチすればそれなりに美味しいものが食べられるとは思うのですが、自分の気分にフィットするものがない状態で「なんとなく」選んだものを食べても、「まぁお金出したし当然かな」くらいで終わってしまい、お金を払った分の対価を得た気持ちになれなかったかもしれません。

お腹は満たされても、気持ちが満足しないというか。

じゃあどんな条件なら気持ちが満たされるんだろう。

ということで、ここでちょっと整理してみます。

私が日常でカフェやレストランに行くのは、

・食事作りや片付けという家事をお休みして一人時間を堪能するため(一人で行く場合)

・美味しいものを食べながら体を休めたり会話を楽しんだりするため(家族や友人と行く場合)

こういうところに価値を感じてお金という対価を払っているわけです。

なので、この条件が満たされないのにお金を払うのは満足感を得にくい。

また、スーパーで買うものについては、

・国産の食材

・添加物が極力入っていないもの

を選びたいという気持ちが強いので、どんなに豪華なお弁当やら食材やらを選んだとしても、その条件が合ってないと満足できないというか、安心して食べれる気持ちになれないように思います。

(そんなだったら自炊すればいいんじゃね?と言われそうですが、毎日朝晩頑張ってるしたまにのお昼くらい休ませて〜)

望んでいないものに資本を投じても満たされない

以前、ハウスクリーニングのパートをしていた時、外(作業先)でお昼になるので、一緒に仕事をしていた先輩方は外食やらコンビニ食やらをバンバン食べていました。

私はそれに付き合うことが到底無理で、お弁当を持参して車の中で食べていました。

(余談、その仕事は環境的・精神的にしんど過ぎて自分史上最短の7カ月で辞めました)

最初は、外食に付き合えない自分ってお金ケチってるのかしらって、狭い車の中でお弁当を食べながらちょっとみじめな気持ちになりそうだったのですが、じゃあもしお金に一切困らないなら毎日外食やコンビニ弁当食べたいのか?と考えたら、答えは迷わずNOでした。

理由は、そこにお金を払っても満足しないから

別に一緒にランチしたくもない人たちと、自分が選んでいない店で(先輩達が店やコンビニを決める)、食べたいものがなかったとしてもそこにあるものから選んで食べる、ということに、時間とお金を投じようとは思えませんでした。

今思えば、自分の選択はそれでよかったんだなーと思っています。

もしその時、相手に合わせて流されていたら、後々なんて無駄なことをしてしまったんだろうって後悔していただろうなぁ。

心から望んでもいないことに時間とお金を投じても、心は満足しないんです。

心の声を聞く練習をする

毎日そんなことしてたらお昼食べるのも一苦労じゃわい!というツッコミが聞こえてきそうですが、私は社会でも家庭でも(特に子供ができてから)自分の希望を後回しにする癖が染みついてしまっていて、何が望みなのかぼんやりしていることが多いのです。

なので、ある時から「自分の求めていること、望んでいることはなにか」をちゃんと自分の内側に問いかけて、時間がかかっても答えが出るのを待つようにすることにしました。

(もちろん時間の許す範囲で、ですが)

そういうことを繰り返すと、自分の選択が、誰かに合わせたものだったり、理詰めや損得だけで考えたものだったのではと、気づくかもしれません。

自分の心の声を聞いてないと、だんだん聞くことが難しくなってきて、自分が本当に望んでいることが分かりにくくなっていきます。

単純に自分の好き嫌いや今の気分に気付くだけでも心地よい人生を作りやすくなるし、後々、人生で大きな決断をする日が来た時、周りに流されず自分の頭で考えて自分の心で決める、ということをしやすくなるかもしれません。

お昼ご飯の選択は失敗してもイタくはないので、そういうところから練習していますというお話でした。

お読みいただきありがとうございました。

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